緑色だけど青信号、青菜、青い山脈。
日本語ではしばしば緑を青と表現します。それはなぜなのでしょうか。
空にかかる虹を見て、ふと思ったことがあります。
虹色は、いつの時代も七色だったのだろうか?
そう思ったのには理由があります。
もう20年ぐらい前のことになりますが、本で読んだのかどこかで聞いたことなのか忘れましたが、「その昔,日本に緑色という概念がなかったから青いという」ということを思い出したからです。
科学的に虹色は、色がくっきりと分かれるのものではありません。
徐々に赤から緑、緑から青へとグラデーションになって変わっていきます。
この現象は普遍で、物理的に言えば無限色です。
その一方で、言語によって虹色が五色になったり七色になったりすることは、ご存知のかたも多いのではないでしょうか。
白くないものは黒く、青くないものは赤い
古代日本には、色を表現する言葉には青いと赤い、白いと黒いの四色しかありませんでした。青でないものは赤く、白でないものは黒い、ただそれだけを示す言葉でした。緑は赤くはないので青です。緑を青と表現するのは,この時代の名残です。
うろ覚えですがこんな内容です。
黄色は白で、茶色は黒でした。
この時代からある色の言葉には、必ずいが付いています。これらの言葉はいがつく形容詞です。
この観点から考えると、古代日本語で虹は赤・白・青の三色だったのではないでしょうか。
中国から五行説の伝来
時代が下り、中国から五行説が伝わると、黄色と茶色の概念が導入されます。
しかしそのままでは日本語としては使いづらいので、黄色い、茶色いといが付け加えられて形容詞化されました。
茶髪も黒髪も黒髪と表現されていたものが、区別されるようになりました。実際はどうだったのか分かりませんが…。
この時代になると黄色という概念が加わるので、白と表現されていたものが黄色に変わり、虹は赤・黄・青の三色になったのではないでしょうか。
平安時代に色の爆発
平安時代になると色を表現する言葉の爆発が起こります。緑色という概念はこのとき誕生しました。色を表現する言葉には植物の名が用いられることが多く、山吹色、藍色などはその代表例です。
うろ覚え的な内容はこんな感じ。
緑色の語源については忘れてしまったので改めて調べてみると、「瑞々しい」という意味の言葉から来ているようです。
この時代に誕生した色を表す言葉にはいがついていません。
緑色い,藍色いとか,緑いとも藍いとも言いません。形容詞化されずに名詞系のまま現在も使用されています。
なぜなの、そこまでは分かりませんでした。
平安時代になって、虹の色を示す赤、橙、黄色、緑、水色、青、紫がでそろいました。
では虹が七色になったのは平安時代から?と思いきや、そうではないようです。
虹が七色になったのはいつから?
虹が七色とされたのは江戸時代末期に西洋思想が取り入れられ、学校で虹は七色と教育されるようになってからです。
つまりは明治以降。
様々な色の言葉が誕生したからと言って、虹色がそれらの言葉で細かく表現されていたわけではないようです。
江戸時代の虹が描かれた浮世絵では、だいたい3色や4色だったようです。虹の色が何色かは、観察者の色の判別能力と文化に依存するようです。
色の識別能力の高く色を表す言葉をたくさん知っていて、『源氏物語』のようなベストセラーになるような文章作成能力の高い平安貴族がもしいたのならば、虹色はまた違ったものになったかもしれません。
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