幼少の頃からたびたび1週間程度の不登校となり、担任の先生が自宅に来て学校に連れて行かれたこともあった弟は、短大中退後、本格的な引きこもり生活に入りました。
以後、引きこもるようになってから13年が過ぎたある日、母が亡くなりました。
母が亡くなったあと、約10年の歳月をかけて弟は完全社会復帰に成功いたしました。
引きこもりに至る原因と、引きこもり脱出に至る過程を晒します。
引きこもりに悩む家族の方にとって、何かのヒントになってくれれば幸いです。
引きこもりの原因は母親、だが本人にその自覚は全く無かった
弟が引きこもりになった原因は、母親にあると考えています。
母はいわゆる毒親でした。
一歩間違えば、私も引きこもりになっていた可能性があるがゆえに、引きこもらざるを得なかった弟の気持ちがある程度は理解しているつもりです。
子どもを引きこもりにしてしまう親には、共通点があると考えています。
しかし残念ながら、その自覚がない親が多く、引きこもりを長引かせてしまっているのではないでしょうか。
子どもの意思が尊重されない
父親や母親が高圧的で、子どもは親の言うとおりにしないと機嫌が悪くなる親の場合、子どもは渋々自分を殺して親の意見にしたがいます。
私の母親は、親が言ったことに対し、自分の意見を言うとパニックというか、ヒステリーを起こすというか、そんな母親でした。
数時間も同じことをブツブツいい、傍にいる人はスルー力がなければノイローゼになること間違いなしというレベルです。
ノイローゼにはなりたくないので、自分の意見を引っ込めて、仕方なく親の意見に従います。
親から見ると、そのような子どもは良い子に映ります。
しかしその結果、子どもは心のバランスを崩すことになります。
あの子が家を出るときは、あんたが死んだときだよ
母は弟の引きこもりを相談した人から、
悪いけど、○○ちゃんが働けるようになるのは、あんたが死んだあとだよ、たぶん
と指摘されたことがあるそうです。
この意見には、私も納得しました。
相談した人は、母の性格から、原因が母親にあることが分かっていたんでしょう。
しかし母はそう指摘されたにもかかわらず、理解した様子は全くありません。
どうせ母に言っても理解できないから、何も言いませんでしたけどね。
母の死、動き出すのは今しかない
母が脳梗塞で倒れ、5年の闘病生活の末に亡くなりました。母の介護は父と弟でしていました。
親戚一同は、弟を寮のある工場で間工でもいいから働けと言いよります。
しかし、そのような言動はむしろ弟を殻に閉じ込めさせることになってしまいます。
なんとしてもそのようなことは避けなければなりません。
兄弟リスク回避のために
不謹慎かもしれませんが、私は母が亡くなるを待っていました。
母の49日までに何らかの動きを示さないと、親戚たちにより弟は余計ひどい状態にさせられる危険性がありました。
幸いなことに、知り合いに精神科医がいました。
私自身、母が亡くなって精神的に不安定な状態でしたが、弟のことをとにかく優先しました。
弟を引きこもりから脱出させるには、アラサーの今しかないと考えていましたから。
知り合いの精神科医に事情を話し、引きこもりを得意としているクリニックを紹介してもらいました。
ちなみに、私が動き出し、適切な機関に相談し、第三者に任せるということを言ったら、親戚たちは黙りました。
治療開始、明るくなる表情
初診のときだけ一緒に行きました。
弟自身、この状況から脱出したいという強い思いがあり、それを信用して私は遠くから見守ることに徹しました。
盆と正月にしか実家に顔を出さなかったのですが、弟の表情が次第に明るくなり、おしゃべりになっていっていく様子は、嬉しかったですね。
週1で通っているデイケアのプログラムが合っていたらしく、とても楽しそうで、少しずつ社会性を取り戻していく様子が見て取れました。
最も長かった最終ステージ
社会に本格復帰擦る前の最終ステージは、最も長く時間がかかりました。
この最終ステージを失敗すると、また引きこもり生活に戻ってしまう危険があるからでしょうか。
最後は慎重に社会復帰を目指していきます。
週に1回、クリニックと協力関係にある作業所で働き始めます。
少しずつ、無理のないペースで仕事をしていき、徐々に社会生活に慣らしていきます。
最終ステージは、3年以上費やしていたのではないでしょうか。
たまに実家に顔をだすだけなので、詳しいことはわかりません。
弟の現在
弟は現在でも月に1回クリニックに通っています。
今は非正規正社員として採用され、真面目に仕事をしています。
友人たちと一緒に野球観戦にも出かけ、アイドルの追っかけもやっています。
引きこもっていた頃とは違い、顔に生気があります。
もう、大丈夫だと思っています。
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